『万葉集』中、イネをよむ歌 
 

→イネ


長歌

 
 ・・・ あめ
(雨)ふらず ひ(日)のかさなれば
 う
(植)ゑし田も ま(蒔)きしはたけ(畠)も あさ(朝)ごとに しぼ(凋)みか(枯)れゆく ・・・
     
(18/4122,大伴家持。749年夏の旱に)
 


短歌

 
 ゆ(斎)種蒔く 荒木(新墾)の小田を 求めむと
   足結
(あゆひ)出てぬ(濡)れぬ この水(かは)の湍(せ) (7/1110,読人知らず)
 あをやぎ
(青柳)の えだ(枝)きりおろし ゆ種蒔く
   忌忌
(ゆゆ)しききみ(君)に こ(恋)ひわたるかも (15/3603,読人知らず)
 住吉の 岸を田に墾
(ほ)り 蒔きし稲の さて苅るまでに あ(逢)はぬきみ(君)かも
     
(10/2244,読人知らず)
 こと出しは 誰が言にあるか 小山田の 苗代水の 中よどにして
(4/776,紀女郎)
 かみつけの
(上毛野) 佐野田のなへ(苗)の むらなへ(占苗)
   こと
(事)はさだ(定)めつ いま(今)はいか(如何)にせも (14/3418,読人知らず)
 相見らく 厭き足らねども 稲の目の 明け去りにけり 舟出せむ妻
     
(10/2022,読人知らず。「稲の目の」は「明け」にかかる枕詞)
 ひと
(人)のう(植)うる 田はう(植)ゑまさず いまさらに
    くに
(国)わか(別)れして あれ(我)はいかにせむ (15/3746,読人知らず)

 石上
(いそのかみ) ふる(布留)の早稲田(わさだ)の 穂には出でず
   心のうちに 恋ふるこの頃
(9/1768,抜気大首)
 石上 ふるの早田
(わさだ)を 秀(ひ)でずとも
   縄
(しめ)だに延(は)へよ 守(も)りつつ居らむ (7/1353,読人知らず「稲に寄す」)
 足曳の 山田つくる子 秀でずとも 縄だに延へよ 守ると知るがね
(10/2219,読人知らず)
 衣手に 水渋付くまで 殖ゑし田を 引板吾が延へ まもれるくるし
(8/1634,読人知らず)

 吾が蒔ける 早田(わさだ)の穂立ち 造りたる 蘰(かづら)そ見つつ しの(偲)はせ吾が背
 吾妹児が 業
(わざ)と造れる 秋の田の 早穂(わさほ)の蘰 見れど飽かぬかも
     
(8/1624;1625,坂上大娘が「秋の稲の蘰」を大伴家持に贈る歌と、大伴家持が答える歌)
 をとめらに 行相の速稲
(わせ)を 苅る時に 成りにけるらし 芽子(はぎ)の花咲く
     
(10/2117,読人知らず)
 久かたの 雨間も置かず 雲隠り 鳴きそ去
(ゆ)くなる 早田雁が哭(ね) (8/1566,大伴家持)
 橘を 守部の五十戸
(さと)の 門田早稲 苅る時過ぎぬ 来ずとすらしも
     
(10/2251,読人知らず)
 さを鹿の 妻喚ぶ山の 岳辺なる 早田は苅らじ 霜はふるとも
(10/2220,読人知らず)


 恋ひつつも 稲葉掻きわけ 家居れば 乏しくもあらず 秋のゆう風
(10/2230,読人知らず)
 妹が家の 門田を見むと 打ち出来し 情
(こころ)もしるく 照る月夜かも (8/1596,大伴家持)
 我が門に 禁
(も)る田を見れば さほ(佐保)の内の
   秋芽子
(あきはぎ)すすき 念(おも)ほゆるかも (10/2221,読人知らず)
 足ひきの 山のとかげ
(常陰)に 鳴く鹿の 声聞かすやも 山田守らす児 (10/2156,読人知らず)
 婆羅門の 作れる小田を 喫
(は)む鳥 瞼(まなぶた)腫れて 幡幢(はたほこ)に居り
     
(16/3856,高宮王。数種の物を詠む歌)

 雲隠り 鳴くなる雁の 去
(ゆ)きて居む 秋田の穂立 繁くし念ほゆ (8/1567,大伴家持)
 秋の田の 穂む(向)き見がてり わがせこ(背子)
   ふさ
(房)たを(手折)りける をみなへしかも (17/3943,大伴家持)
 秋の田の 穂向きの縁れる こと縁りに 君によりなな 事痛
(こちた)かりとも
     
(2/114,田島皇女)
 秋の田の 穂向きの依れる 片縁りに 吾は物念ふ つれなき物を
(10/2247,読人知らず)
 秋の田の 穂の上に霧
(き)らふ 朝霞 何処辺(いづへ)の方に 我が恋ひ息(や)まむ
     
(2/88,磐姫皇后)
 秋の田の 穂の上に置ける 白露の 消
(け)ぬべくも吾(あ)は 念ほゆるかも
     
(10/2246,読人知らず)
 秋の穂を しのに押し靡べ 置く露の 消かも死なまし 恋ひつつあらずは
      (10/2256,読人知らず)

 秋田刈る 仮廬(かりほ)の宿の にほふまで 咲ける秋芽子 見れど飽かぬかも
     
(10/2100,読人知らず)
 秋田刈る 仮廬を作り 吾が居れば 衣手寒く 露置きにける
(10/2174,読人知らず)
 秋田刈る 仮廬を作り いほり
(廬)して あるらむ君を 見むよしもがな (10/2248,読人知らず)
 秋田苅る 客
(たび)の廬(いほり)に しぐれ零(ふ)り 我が袖ぬれぬ 干す人無しに
      
 (10/2235,読人知らず)
 筑波嶺の すそ廻
(み)の田井に 秋田刈る 妹がり遣らむ 黄葉(もみち)手折らな
      
(9/1758,読人知らず)
 然と有らぬ 五百代
(いほしろ)小田を 苅り乱り 田廬(たぶせ)に居れば 京(みやこ)し念ほゆ
      
(8/1592,大伴坂上郎女)
 鶴
(たづ)がね(音)の 聞こゆる田井に いほりして 吾客(たび)にありと 妹に告げこそ
      
(10/2249,読人知らず)

 秋の田の 吾が苅りばかの 過ぎぬれば 雁がね聞ゆ 冬かた設
(ま)けて (10/2133,読人知らず)
 吾妹児が 赤裳ひづちて 殖ゑし田を 刈りて蔵(をさ)めむ 倉無の浜 (9/1710,柿本人麻呂か)
 荒城田
(新墾田,あらきだ)の しし(鹿猪)田の稲を 倉に蔵(つ)みて
   あなひねひねし 吾が恋ふらくは
(16/3848,忌部首黒麿)
 秋田刈る 仮廬も未だ 壊
(こぼ)たねば 雁がね寒し 霜も置きぬがに (8/1556,忌部首黒麿)
 秋田苅る 廬戸
(いほ,とまで)(うご)くなり 白露し 置く穂田(ほた)無しと 告げに来ぬらし
      
(10/2176,読人知らず)

 にほどり
(鳰鳥)の かづしか(葛飾)わせ(早稲)に にへ(饗)すとも
   そのかな
(愛)しきを と(外)にた(立)てめやも (14/2386,読人知らず)
 佐保河の 水を塞
(せ)き上げて 殖ゑし田を 苅る早飯は 独りなるべし (8/1635,大伴家持)
 たれ
(誰)そこの や(屋)のと(戸)お(押)そぶる にふなみ(新嘗)
   わがせ
(背)をや(遣)りて いは(斎)ふこのと(戸) (14/3461,読人知らず)
 いね
(稲)(舂)けば かか(皹)るあ(吾)がて(手)を こよひ(今夜)もか
   との
(殿)のわくご(若子)が と(取)りてなげ(嘆)かむ (14/3459,読人知らず)
 おしていな
(否)と いね(稲)はつ(舂)かねど なみ(浪)のほ(穂)
    いたぶらしもよ きそ
(昨夜)ひとり宿(ね) (14/3550,読人知らず)

 玉戈の 道行き疲れ いなむしろ
(稲莚) 敷きて(頻きて)も君を 見むよしもがも
     
(11/2643,読人知らず)
 


旋頭歌

住吉の 小田を苅らす子 賎(やつこ)かも無き 奴在れど 妹が御為と 私田苅る
     
(7/1275,読人知らず)
 



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